倉地類人加奈子

倉地類人について

倉地類人

株式会社ギフト代表取締役

幼少期

僕、倉地類人は愛知県豊橋市で生まれました。子どもの頃から僕の母は僕のことを全面的に肯定して育ててくれるタイプで、愛情たっぷりという感じで育ち、それゆえにマザコン気質な性格が幼少期に形成されました。

そういう環境で育ったためか、男尊女卑的な考えはまったくなく、むしろ女性は素晴らしいという価値観が僕の中に生まれ、それもあって女性のクライアントさんが多いのだろうと思います。マザコンはなおりませんね。

僕は昔から、とっておきの方法を見つけてくるのが得意でした。大人が考えもつかないような方法を友だちに教えたり、それをすると大人が思っているよりもすごいことを子どもができてしまうので、小さい頃の僕は時に大人に危険人物として扱われることも多かったように思います。

青年期

中学、高校生になるといずれ起業をしたいという思いが強くなり、その頃から一緒に起業してくれる女性を探すという変な習慣が僕の中に生まれます。なので僕が好きになる女性のすべての人は、「将来この人と一緒に経営をしたい」と思える人でした。やっぱ変ですね。

あとカニを獲るのが得意でした。「はあ?蟹?」とか思われちゃうと思うんですけど、地元の遊びで、水中に潜って蟹をとるというものがありまして、どんなに水が濁っていても、僕だけ蟹が見えちゃうんですよね。「あ、あそこにいる!」ってね。

これ、幼少期の頃からとっておきの方法を見つけてくる時と感覚が同じなんですよね。そしてその能力が今の僕のビジネスの原動力になっています。ちなみにあまりに蟹を獲るので、周りの友人が「倉地は蟹を見つける目を持っているぞ!カニフォーカスだ!カニフォーカスを持っていやがるぜー!」と興奮して言っていたのでその名前を頂き、僕のこの何かを見つけてくる能力をカニフォーカスと呼んでいますが、クライアントさんたちの間では共通の言葉として使ってくれています(笑)

サラリーマン時代

大学卒業後、大手の住宅メーカーに就職、住宅営業として働きましたが、入社半年で全国表彰に行きました。そこからずっと売れました。すごいでしょ?と言いたいところですが、そうではありません。それを可能にしたのは、入社の前日に、結婚を約束していた最愛の彼女に振られたためです。

さっき言ったように僕の好きになる人は将来一緒に起業してくれる人。その約束をしていた彼女が僕の元から去って行った…。後にも先にもこの時のショックを上回る体験はありません。しかも配属の前日に。もう絶対に仕事だけは失敗できなかった。彼女を見返すんだ!僕のカニフォーカスはとんでもなく研ぎ澄まされ、「売れるためにはどうすればいいのか?」という目的成就のために、ありとあらゆる方法を見つけ出しました。そしたらいっぱい売れてしまった。切ない営業時代でしたね。

それで、4年ほど働き、もう十分だと思ったので、僕は東京のラーメン屋さんに修行に出ました。ラーメン屋さんを開業してやろうと目論んだんですね。しかし、1年くらい経った頃、父の会社が傾き、僕は地元に呼び戻され、父の会社の立て直しをさせられることになります。ピンチの時のカニフォーカスです。

家族のピンチ、親の生活、自己破産を防ぐために方法を模索しました。それでなんとか父の会社の立て直しに成功したのですが、その時に出会ったのが妻でした。そして結婚。そうなると父の会社で働いていては家族を養えません。(給料が潤沢にもらえるような状況ではなかったのでね)

だから僕は生計を立てるために、以前働いていた住宅メーカーに戻って住宅営業をすることにします。営業なら稼げる自信がありましたからね。ただこれがいけなかった。一度は起業に向けて動いて退社した会社に戻るという行為は、自分の進むべき道を進んでいないという見えないストレスを生み、入社3ヶ月で僕は甲状腺の病気を発症。ドクターストップ。そして会社をクビになります。

これが僕がストレスで初めて体を壊した経験でした。働けなくなった僕は父の会社に戻り、事務員として働くことにし、少ない給料で妻と子どもの3人で地元のボロアパート暮らしをしなければいけなくなります。今でもあんな生活をさせた妻には申し訳ない気持ちでいっぱいです。

起業そして現在

それで2年くらい経った時、体もだいぶ回復してきたので、起業しようと思い、妻に内緒で銀行からお金を借りて会社を起こします。そして妻に言います。「さあ一緒に会社をやろう!」と。だって中学時代からそのことを目的で妻探しをしてきたんですからね。その時、妻がパン教室の先生をしていたので、パン屋を立ち上げたら妻も働いてくれるだろうと、勝手にパン屋さんを開業しました。就労支援事業というシステムの中で。今思うと無茶苦茶ですね。

ただ、こんな無茶苦茶なことをすればうまくいくはずもなく、僕が立ち上げた会社は一年もしないうちに経営のピンチを迎えます。そして今後は妻が体を壊し、僕はこの事業をたたむことを決意します。2000万円ほどの借金だけが残りました。

この事業の失敗はこたえましたね。何がこたえたかって経営者仲間から、お前は器用貧乏だの、お前が経営者の器じゃないからうまくいかないんだ、だの散々言われたことです。悔しかったなあ。

「お前の思いつくアイデアは、今あるものをそこらじゅうから持ってきて組み合わせているだけに過ぎん。新しいものを生み出す力がないから失敗したんだよ。」

今でも忘れないとある経営者から言われた言葉。でもその経営者が続けて言うんです。

「まあでも、そのお前の組み合わせたアイデア、俺が買ってやるよ。」

はあ?なんだそれ?僕のアイデア欲しがってんじゃん!

この時気づいたんですよね。僕のカニフォーカスの正体に。僕は新しいアイデアを思いつく能力はないかもしれないけど、世の中にある既存のアイデアの新しい組み合わせを作ることができる。世の中にあるものから役立つものだけを見つけてくる力があると。

そう考えると今までも自分のピンチを救ってくれたのは、既存のアイデアの新しい組み合わせによるものだった。営業時代も父の会社の立て直しも。そしてきっと今回のピンチだって…。

よし!それなら僕がみんなに役立つ新しいアイデアをどんどん作って売ろう!僕のアイデアで跳ねられる人を応援しよう。

こうしてコンサルタントとしての仕事がスタートしました。手始めに妻をプロデュースしました。妻はパン教室の先生をやっていたので、その教室運営ノウハウを講師たちに売ることをもくろみ、妻を習い事心理アドバイザーという肩書きにして売り出しました。するとそれが大当たり。半年で数千万という売り上げを上げることができ、事業の失敗を取り戻します。

妻が使えた僕のアイデアは他の起業家さんだって使えるはず。そこからたくさんの起業家さん、特に女性起業家をプロデュースしてきました。

億を超える爆発的な売り上げを上げた人。主婦だった人が千人の人の前で登壇するようになった人。様々な人を生み出してきましたが、やったことはただ一つ。その人の目的に合わせて、僕が既存のアイデアから役立つものを抽出し組み合わせて新しいアイデアにして渡す。

僕の生み出すウルトラCは、再現実現性が非常に高く、様々な人を劇的に変えることを可能にしてきました。

最近になって、個々の人のプロデュースから、これまで培ってきたノウハウをもっと多くの人に伝えたい。汎用性をもっともっと高くしたいとの思いから、youtubeを始めてみたり、大人数で行う講座形式のものを開催してみたりするようになっています。

僕は信じています。女性が男性よりも起業家としてまったくうまくいっていない(経済産業省のデータで証明されている)のはやり方が悪いからです。教える人が悪いからです。ウルトラCを知らないからです。

それは僕がこれまで輩出してきた成功者が証明していますし、もしあなたもウルトラCを手にして進めば、ウルトラの結果を手にすることができる可能性があります。

新しいアイデアとは既存のアイデアの新しい組み合わせ。ウルトラCを僕のカニフォーカスを使ってこれからもどんどん生み出していきます。そして応援します。特に女性を。

ウルトラCでごぼう抜き、最速最短で目的に到達する。超快感ですよ♪

上部へスクロール